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概要

ホメオパシー的災害対策

152007年から静岡県で耕作していた7反3畝の畑を広げるために、役場と農業振興会、自然農を推進してくれるJAと話し合い、農業生産法人日本豊受自然農株式会社を作り上げた。2011年までには、農地は25反に広がった。試行錯誤を繰り返しながら、野菜を出荷できるまでになった。一方で、一人一人が庭や畑を持ち、自給自足することこそが最も大切だと思うようになった。震災から1年後の2012年、自給自足のすすめである日本豊受自然農・農業コースを立ち上げた。災害や飢饉というのは実際に遭遇しない限り他人事と思いがちだが、日ごろから備えることが大事である。最低限、種と土地さえあれば生き残っていけることは、戦後、貧しいながらも女手一つで3人の子どもを育てた母から教わった。母は「種と土地さえ持っていれば生きていける」と、常々私に言っていた。当時、イモ一つをダイヤの指輪と交換なんてことがざらにあったようだ。それでも、ダイヤは食べられないのだ。また「かてもの」という雑草を食べる習慣を持つことも大事である。江戸時代、米沢藩主だった上杉鷹山は「かてもの」の知恵を生かし、3回の大飢饉を乗り越えた。米沢藩だけは餓死者が一人もいなかったという。私たちは先人の知恵をひもとき、それを有効利用するべきである。苦しみの後には必ず喜びがあるあまりに苦しくて百姓をやめたいと思ったときもあった。それでもやっぱり百姓はいい。暑い夏、地面にひれ伏して行うシソの草取りはとてもつらい。しかしその後のシソの成長を見ると、そんな苦しみなんて何てこともなくなってしまう。8反近くの大豆を植えるために畝を作り、種をまく仕事もつらい。しかし、大豆がたわわに実ったときの喜びには代えられない。夏の日照りで作物が全部枯れてしまったときは、泣きたくなるほど悲しかった。植え直し、芽が出たときは本当にありがたかった。農業を通して、苦しみの後には必ず喜びが来るということを知った。自然に感謝し、自然を敬い、つらいときも苦しいときも必ず光が差すことを信じよう。