気の森 〔1997・01〕  ホメオパシーそのベーシックと治療の実際(前編)! 

気の森 14号(1997) ホメオパシーそのベーシックと治療の実際(前編)
  取材・文 森春生(在ロンドンジャーナリスト)

今回はホリスティック医学の中の代替医療の切り札とも言われているホメオパシーを紹介する。 「健康な人に投与して、ある病気と似たような症状を引き起こさせるものは、その病気を治すことが出来る」という概念に基づくホメオパシーの始まりはギリシャ時代に遡る。しかし「逆療法」という近代の合理性にマッチした療法が幅を利かせる中、ホメオパシーは200年前にドイツの医師ハーネマンに再発見されるまで完全に忘れ去られた存在であった。そして、この4月に「ロイヤル・アカデミー・オブ・ホメオパシー」日本校開校とともに、ホメオパシーは心と体を根本から癒す方法として、日本でも注目されつつある。今回はロンドンにある「ロイヤル・アカデミー・オブ・ホメオパシー」を訪問し、ホメオパシーの今を体験してきた。

全部そのまま見せるし話すので何でも聞いて下さい 「ホメオパス由井寅子とホメオパシー治療の実際を取材?」 一瞬私は絶句した。実は私はトラちゃんこと由井寅子を約20年前から知っていて、時々同じ仕事をしたこともある。トラちゃんは東映から日本テレビに移ってドラマのスクリプターを8年ほどやったと後、「日本も良いけど若いうちに世界をみてくる。英国でやってみるわ」と言いながら本当に英国に行ってしまった。今度はテレビの報道ディレクターと番組の企画制作会社の社長!という仕事にいつの間にかオサマッテいて、何度か英国取材の仕事でロンドンに行った時は、大抵トラちゃんの会社が製作を請け負っていたので、「凄いねトラちゃん、昔から良いセンスしてるとは思っていたけどこんなスゴ腕とは知らなかったよ」といいながら、一緒に仕事をしたものだった。そういえば4年前最後に一緒にした仕事は「免疫」という番組で、免疫学の勝利と挫折、アレルギー治療の限界という専門的な内容にも拘わらず、トラちゃんが取材先のドクターに鋭い質問を浴びせていて、「ヘーエ、トラちゃん、こんな専門的な知識もあるんだ」と冷やかし半分感心していたら、「実は今フルタイムである医学を勉強していて、去年大学を卒業したけどまだまだと思って大学院に行っているの」と言われて驚いたことを思い出した。それにしても、あのときの「ある医学」というのがホメオパシーで、「医療ジャーナリスト」の道をどうにか歩き始めた私が、「ホメオパシー医師由井寅子先生」を取材するなんて、世の中一体どうなっているんだろう、と思いながらトラちゃんに電話した。

「森さん、久しぶり。あなたロンドンで活躍してるんだって?水くさいじゃない、連絡もくれないで!今度あなたが取材に来るって聞いたけど本当なの? ホメオパシーはちゃんとした医学なんだから、覚悟してきてね。昔の仲間だからって手加減しないわよ」と言われ、「それはこっちの言うせりふだ、覚悟してろよ」と切り返しながらも、何か以前とは違う「ドクター寅子」を感じていた。「今日は森さんにはホメオパシー治療の実際を、全部そのまま見せるし話すから、何でも聞いて下さい。遠慮は要りません。どんな質問にも率直にお答えします。もし答えられない質問があれば、なぜ答えられないのかも隠さずお話しします。その上でこのようにも考えられるという仮説や理論があれば、はっきりこれは仮説である、経験知である、とお断りした上でお話しします。」と言われ、これが本当にあのトラちゃんかと驚いた。知らない間に本当のドクターになっている。これは心してかからないと本当に返り討ちに遭いかねないと気持ちを引き締め直し、なかなか普通では聞けない率直な質問で、時には不躾になることがあっても、遠慮なく取材することにした。 正直なところ「まともな」医療ジャーナリストを自負していた者として、ホメオパシーに対する先入観は余りろくでもないものであったと告白しておく。少し参考文献も読んではみたが、ホメオパシーの薬のようなもの(レメディー)の殆どは物理的に成分が全く無いほど薄められており、確かに副作用は無いだろうが薬理効果もあるはずがないとしか考えられなかった。もし効果があるとすれば嘲笑的な表現に使われるプラシーボ(偽薬)効果くらいだろうとタカを括っていたのだ。しかしその結果、たっぷりとショックを受けることになった。3日間の取材のつもりが結局3週間も通い、信じられないことにこの私も本格的にホメオパシーを勉強し、何年かじっくりとホメオパシーをテーマに書いてみようと言う意欲を掻き立てられたのだ。そういう訳で短い紙面の中でホメオパシー全般を大雑把に書く気にはなれない。今回はよくあるような突撃体験取材レポートではなく、ホメオパシー医師は診療の時、一体何を考え何をしているのかという実体を事細かく書くことにしたい。

■数千種類のレメディーの中からその患者と同種の症状を引き起こせる レメディーを探す!

ホメオパシーの概説は、本誌でも昨年来何度か掲載されているので要約すると、「健康な人に投与して、ある病気と似た症状を引き起こさせるものはその病気を治すことが出来る」という同種の法則に基づく療法で、医学の祖ギリシャのヒポクラテスに遡る医学の2大潮流の一つでありながら、約200年前にドイツの医師ハーネマンに再発見されるまで、もう一つの大潮流「逆療法」の後塵を拝していた。ハーネマンは当時マラリアの特効薬として知られていたキナの皮を煎じて飲むと、驚くことに高熱、 悪寒、脱水症状等、キナの皮が治す筈のマラリアと同じ症状になったことから同種の法則を再び 見いだした。 ハーネマン以後、実績としては幾度も正統医学を圧倒したことがありながら、「なぜ同種というだけ で人の体が治るのか、成分の分子が全くないほどに薄められた薬に一体なんの効果があるのか」 という理論的根拠がはっきりしなかった事から、20世紀後半に一旦衰した。 しかし現代医学の意外な無力さ・難病・副作用・耐性細菌の問題などで再び見直され、その科学 的根拠も次第に見え始めているという。
「ホメオパシー治療とは結局何をするのか」と単刀直入に聞いてみた。

「ホメオパシー治療とは結局その患者の症状とレメディーの症状を、如何に正しくマッチさせるか、 という事に尽きます。詰まり数千種類のレメディーの中から(健康な人に投与して)その患者と 同種の症状を引き起こせるレメディーを探すと言うことです。 しかしマッチさせるといっても人の体質や症状はその人固有のものですから、全く同じ体質の人 はいないわけで、厳密にいえば人の数と同じ数ほど体質の種類があります。 まじめに考えるとそれをレメディーと厳密にマッチさせるということは全く不可能なことです。 しかし自然というものはそこまで完全無欠な厳密さ正確さを要求せず、むしろ不自然なまでの 厳密さは、文字通り自然に反しています。突然変異のメカニズムに見られるように、分子レベル でのRNAの転写ミスにもアバウトでうまく機能してくれるからこそ、生命にも進化あり動きがある のです。同様に厳密に同じでなくても、類型として十分近ければちゃんと効いてくれます。 それにレメディーの種類は数千種類あり、そのどれにも近くないという人はまずいません。 また90%以上の人は、根本体質的には十数種類程度の類型の中に入りますから、そう難しく ない面もあるのです。 しかし現実的には数千種類のレメディーの症状を十分に把握し、その人 の体質や症状をいろいろな問診や観察により正確に見極め、レメディーを探っていくのは想像 以上に大変です。まあ最初から理屈だけを説明しても分かり難いでしょうから実際に診察を受け てみますか?だけど単なる体験レポートでは物足りないでしょう? 診察過程を一つ一つ説明して、何をしようとしているのか全てに渡って教えても良いですよ。 まあ森さんにその覚悟があればの話だけど……意識・無意識もそのままでてしまうけどいい?」
と切り込んできた。 そう来ればここで怯むわけにはいかない。早速診察をお願いした。

最初に名前、生年月日、出生体重を聞かれる。

「これは正統医学でも東洋医学でも同じだけど、 患者の観察というのは極めて大切。声のトーン、表情、椅子に座るときの座り方、歩き方、 こちらを見るときに目を合わせるか、目の表情…無数の要素を瞬間的に判断しながら、 患者の全体を診ます。東洋医学の名医は瞬間に数千もの情報を得るといわれます。 その無数の情報から正しい判断を下すのは決して簡単ではありません。情報というのは 確かにある面では多ければ多いほど正確になるともいえますが、また一方情報が多ければ 多いほど雑多な夾雑物が入ってきて惑わされ、正しい判断を難しくさせます。 その中から意味のある情報、草でない情報を見分けていく技術が必要なのですが、厄介なのは 意味の全くない情報など無いということで、全てそれなりに意味があるのです。 情報にはバイアスがかかったものもあれば、一つの情報から5つくらい可能性があっても、 そのうち一つの可能性に妙に拘って結局大事な情報を見落としたりと、失敗を沢山繰り返して やっとポイントが分かってくる、そういうものです。 これは訓練に裏打ちされたアートでもあり技術でもあります。 東洋ではこれは方法論では表現できないとして、直感や勘という名人の世界にすぐに行って しまいますし、私もずっとそういうものだと思っていたのだけど、本来形になり難いものを何とか方法論・メソロジーに帰着させる強さが西洋文化にはあるような気がします。 これは余談ですが」

「そうすると名人達が練り上げてきた究極的な直覚・直感というものを 誰でも身に付けられるメソッドが、ホメオパシーにあるということですか?」と聞いてみた。

「誰でも自動的・エスカレーター式に名人になれるメッソドいうものは、勿論ありません。 しかし日本では言葉による表現がまだ可能である段階で早々とその試みを放棄し、簡単に 不立文字、つまり言葉で表現できない玄妙な境地だと言ってしまいます。 私はキリスト教徒ではありませんが、「はじめに言(ことば)ありき」というすごい言が、聖書に あります。ことばというものは突き詰めるとこの宇宙そのものです。 ことばで表現できないものはこの世にありません。 本当の不立文字という境地は、文字による表現を極限まで工夫し究めたところに初めて開けるものです。 安易なる「不立文字」は単なる怠慢に過ぎません。…この話はこれまでにしましょうか。」

「出生体重。この出生体重でその人の根本体質が概ね決まり基本レメディーが決まります。 これは特に小児の場合極めて重要で、小児のうちは、どんな病気でもこれで治ってしまうほど です。 さて今からいろいろな問診をするわけですが、初診の場合最低一時間はかかると思って 下さい。今日は全て説明しながらやりますから三時間くらいかかってしまうでしょうけど、森さん には特別にマケておきますね(笑)」

この先もっと関係ないような質問が延々と続きます。 本当は全て本質的で重要な質問だけど
「ホメオパシーで使う幾つかのメソッドの中で私が 一番よく使うのはレイヤーズメソッドといいますが、人間の階層(レイヤー)を大きく5層に分け ています。マヤズムという原始的土壌、コンスティテューションと呼ばれる根本的体質、 環境や好き嫌いなどのファンダメンタル、病気や疾患等のリージョン、新薬や手術等のサブリージョンです。これは単にこう分類してみたということではなく、臨床的方法論、 治療順序的序列として考えて下さい。 この5つの階層はもちろん独立的にあるのではなく、相互にあらゆる因果があらゆる瞬間に 因果を結び合っています。表層の現象も次第に深部に浸み込み、最深部をもスパイラル、 螺旋的に少しずつ変えていきます。 もちろんその逆もあるわけです。 現在主流のホメオパシー治療ではこれらの階層を同時並行的に働きかけ治していきます。 ハーネマンの時代(産業革命以前)はこの階層はあまり複雑ではなかったため、マヤズムや 根本体質に働きかけるレメディーを一種類投与するだけで簡単に治ることが多かったのです。 しかし産業革命以後、生産方法だけではなく社会構造も機械化され規格化されて、心身は 不自然に抑圧されています。また自然界にはない化学合成物質・重金属・新薬などの積極的・ 消極的摂取による汚染、体内バランスを破壊して心身に大きな歪みを残す手術、また免疫の 中心的役割をしているにも拘わらず、最近までその役割が分からなかったため簡単に行われ ていた扁桃腺や盲腸・胸腺等の切除等、人間存在が立脚する基盤が大きく変化しています。 その為昔のように、一種類のレメディーを投与するだけでは治り難くなっているのです」

「ではその5層に対して、レメディーをそれぞれ選択し、投与するのですか?」

「ホメオパシーのレメディーは、成分で無理に作用を引き起こすものではありません。 人間の自然治癒力を揺さぶり、刺激し自ら健康を取り戻す力を与えるものですから、投与する レメディーは最小限の種類、最小限の量に抑えるという基本原則があります。 具体的にどうするかといいますと、マヤズム治療・体質的治療・対症治療の3本立てで レメデ ィーを選択します。但し単なる応急処置や幼児など、一種類だけで十分な場合は 一種類で済ませます。あくまで最小限であることには変わりはありません」

「はい。何となくイメージが湧いてきました。そろそろ診察を始めて頂けますか?」

「先程言ったように森さんと会ったときからもう診察は始まっています。 既にかなりの情報が入ってきていますが、先入観にならないよう現段階では敢え何も 解釈しません。例え森さんは胃腸が弱く下痢と便秘を繰り返していて、小さい頃から 親の期待を一身に背負った子だったと想像できるとしても、そういう予断はせず、全く白紙の 状態からスタートします」

「ウッ。どうして分かるんですか?」

「ですからそれは訓練です。 後で解説しても良いですが、大したことではありません。 それでは問診に入ります。森さんを妊娠中、お母さんはどんな様子だったかご存じですか? 精神的にも肉体的にも安定していたのか、流産の可能性はあったのか、ということですが」 「母の話では特に大過無く、両親が不和であったとも聞いていません。安産だったと聞いて いますが」 「失礼ですけど森さんはご両親が望んで生まれたの?」

「エッ、多分…アイ・ホープ・ソウ。だけどそんな事病気と何か関係あるんですか?」

「大ありです、モチロン。手足はひえるほう? 暑がり? 寒がり? 外にでるのが好き?  部屋の中にいるのが好き? 尖ったものが怖くない? 海が好き? 山が好き? 朝と夜どちらが好き? どんな夢を見る? 自殺するならどんな方法でやる?  飛び込み? 睡眠薬?……」

「あのー、これは本当に問診なんですか?何だか病気と全く関係ないことばかり聞かれ てい気がするのですが」 「そう感じるでしょうね。私も最初に訊かれた時は私の病気と一体何の関係があるのだろう、 そんな暇があるのだったら早く私の病気を治してよ、と思ったもの。 本当は全て本質的で重要な質問だけど。でもこの先こういう質問が延々と続きます」

「…もしかして、いずれ僕の○○○ライフについても聞くということですか?」

「もちろん必要があれば聞きます。でもそんなこと答えるのは抵抗があるでしょうね?」

もちろん大有りだった。 結婚生活に支障があるとか子供が出来ないのならともかく、単なる下痢や便秘で、 その様な質問に正直に答える気にはとてもなれない。

「そうでしょうね。でも先程のような質問は患者の体質を知り、レメディーの種類と希釈倍率を 慎重に選んでいくには、書かすことの出来ないものばかりです。 それでは質問にどのような意味があるかを一つ一つ解説しましょう」

そして約3時間に及ぶ問診と解説が本格的に始まった。 問診というものに固定観念を抱いていた私には、解説をしてもらっても正直なところ 最初は「ハー、そーですか」でしかなかったが、問診が進むにつれて 「ヘー それはスゴイ」に変わり、最後には「恐れ入りました! 由井先生。 私にこの道を教えて下さい」となってしまった。