晩年のハーネマン

晩年のハーネマン | ホメオパシー出版 page 20/36

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概要:
晩年のハーネマン リマ・ハンドリー著 澤元亙訳 由井寅子監修 ホメオパシー出版

はじめに18はじめにホメオパスであれば、次のことはだれもが知っているであろう。ハーネマンの初期の生活、彼の受けた試練や人生の浮き沈み。そして、少しずつホメオパシーの原理が定式化されていったことや、実践の中で苦労してホメオパシーを確かなものにしていったこと。さらには、一八二一年にみずからケーテンを脱出したこと、その後の、ライプツィヒにおける成功と失敗の物語など。しかし私たちは、ハーネマンは晩年どうしていたのかということについてはあまり知らない。彼は晩年、裕福な若いフランス人の妻、メラニー・ダルヴィリ侯爵婦人と結婚し、パリに移った。八〇歳のとき、ホメオパシーの活動を再開し成功した。これによって、ある意味では、社交界の中心地であるパリからホメオパシーを広めることになった。こういうことは、これまで一四年間住んでいたザクセンの小さい町からでは決してできなかったであろう。まさにこのパリにおいてハーネマンは最高の名声を手に入れ、注目すべき業績に対して当然受けてよいはずの名誉を受けることになった。『慢性病』の第二版と『オルガノン』の最終版を完成させたのも、このパリであったし、これから明らかにされるように、マヤズム論である慢性病の理論を実際の治療に用いたのも、パリにおいてであった。高ポテンシーを実験し、LMポテンシーを発展させ、思いも寄らない希釈度による超微量投与という考え方へと踏み出したのも、パリにおいてであった。本書は、ハーネマンがパリで過ごした晩年にホメオパシーをどう実践していたかを述べた報告である。この