晩年のハーネマン

晩年のハーネマン | ホメオパシー出版 page 21/36

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概要:
晩年のハーネマン リマ・ハンドリー著 澤元亙訳 由井寅子監修 ホメオパシー出版

19In Search of the Later Hahnemann時期については、これまでほとんど研究されておらず、大きく誤解されていた。本書の報告は、第一にハーネマンの直筆の診療日誌に基づいている。日誌は、ドイツの図書館で今まで実質的に未調査のままだった。彼の出版物のページからうかがい知れるハーネマン像は、一見して信頼の置ける偉大なる教師であった。だが、診療日誌からは、かなり異なったハーネマン像が明らにされる。日誌に、個人的に行われた実験を見ることになるだろう。こうした実験によって彼は、公言していた内容に根拠を与えて確実にしようとした。つまり、彼が文字どおりホメオパシーを「実践している」ところを見ることになるだろう。彼は、複雑なパリの患者に数多くのさまざまな処方の仕方を試みざるをえなかった。彼がそうすることになったのは、独断的な信念によってではなく、彼自身の学識を常に特徴づける探究精神によってであった。晩年の診療日誌を見れば、疥癬マヤズムを発見することによってハーネマンが処方に関してどのように新しい方法を採用していったかということがわかる。彼はもはや、長年にわたり主張してきた「症状の全体像」にだけ基づいて処方することはなかった。たいていマヤズム論に基づいて処方した。治療を開始するに当たって患者個人に合わせて処方する前に必ずいつも疥癬マヤズムを取り除いた。診療日誌を見れば、高めのポテンシーで処方していたことがわかる。これについて初めて書いたのは、『オルガノン』第五版(第二八七節)の脚注においてであった。ポテンシーに応じて投与法を変え、しばしば液体の状態で与えて頻繁に処方した。したがって彼は、一回投与したら次の投与を考える前にその作用が止まるのを待つという、よく知られたやり方を放棄したのである。日誌からは、LMポテンシーの発見へと実験的に動き出したこともわかる。彼自身はこの発見を、精スピリット神を