晩年のハーネマン

晩年のハーネマン | ホメオパシー出版 page 28/36

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晩年のハーネマン リマ・ハンドリー著 澤元亙訳 由井寅子監修 ホメオパシー出版

第一章  ハーネマンの状況26ホメオパシーの始まりそれから六年後の一七九六年に、彼は、ホメオパシーが基づく単純な原則をはっきりと公表した。すなわち、「類似のものは類似のものによって癒されるべきである」(Sシミリアimilia sシミリブスimilibus cクーレントゥルurentur)という原則である。雑ではあるが伝統的には、「同種のものを同種のものよって治療せよ」(Let likes be treated by likes)と訳されている(5)。この原則を発表した直後、一八〇一年に医療活動を再開したが、この新しいホメオパシーの原則に基づいて活動した(6)。引き続き彼はさまざまな薬で実験した。ジギタリス、オピウム、ストラモニューム、バレリアナ(カノコソウ)などのような当時の薬もあった。そして新しい医学について考察を続けた。一八一〇年には『オルガノン』の初版を出版した(7)。この本の中で彼は、ホメオパシーは何をもたらすかということについてはっきり説明した。ここにおいて彼は、とりわけ類似の原則を治療の基本原則として確立した。これによって次のような考えが入念に仕上げられた。すなわち、病人に実際に生じている症状と、薬によって生み出された症状との類似性に基づいてレメディーを選び、そのレメディーを微量、単一で処方することによって治癒は引き起こされるであろう、という考えである。自分の新治療法をホメオパシー(類似の症状)と呼び、正規の医学をアロパシー(反対の症状)と呼ぶことで、彼は、両医学の間に見られる重要な区別を強調した。その後ハーネマンは、こうしたさまざまな薬で実験したことについて書き始めた。プルービングの結果はほとんど『純粋マテリア・メディカ』(8)に収められた。これに基づいて後進のホメオパスたちは多くの研究を行った。彼の探求はここで終わらない。彼は多くの視点からレメディーを豊かに描いた。常に最初の発想を疑い、