晩年のハーネマン

晩年のハーネマン | ホメオパシー出版 page 31/36

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晩年のハーネマン リマ・ハンドリー著 澤元亙訳 由井寅子監修 ホメオパシー出版

29In Search of the Later Hahnemannを遠ざけてしまった。彼は純粋さを厳格に守ったにもかかわらず、不純なホメオパシーが発展した(ハーネマンはそれを「似非」ホメオパシーと呼んだ。彼の意見によると、それは偽物と本物が一体化したものだからである)。そうしたホメオパシーを実践するホメオパスたちの中には、アロパシーのように、病名に基づいて選んだ薬で患者を治療する者たちもいれば、その一方で、患者の病的状態の全体に対する、より個人的で特異体質的な類似性に基づいて薬を選ぶ原則を守る者たちもいた。半端なホメオパスとか、特効薬処方家とか呼ばれた逸脱者たちは、非常に低いポテンシーで、あるいは原物質を含んだままでも薬を処方する傾向があった。このときハーネマンや忠実な弟子たちは、極端に希釈した物質で実験し、その効果を確かめていたところであった。低ポテンシーを使う特効薬処方家と高ポテンシーを使う「ホリスティックな」処方家との間には今やどうすることもできない亀裂が存在するが、そうした亀裂は、まさにこの初期の時代に始まったのである( 11)。ホメオパシーにおける新しい発展ハーネマンは引き続き何年もかけて新しい医学体系を入念に仕上げ、私たちが今日認めているすべての特徴を少しずつではあるが発展させた。まさにこの初期の段階で彼は、類似性の原則に超微量投与の原則を加えた。最初は、その後者の原則は、必要に応じて薬の物質量をできるだけ微量でしか使ってはいけないことを