晩年のハーネマン

晩年のハーネマン | ホメオパシー出版 page 7/36

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概要:
晩年のハーネマン リマ・ハンドリー著 澤元亙訳 由井寅子監修 ホメオパシー出版

5In Search of the Later Hahnemann 私が日本に戻ってきた当初、治癒率はさんざんなものでした。医原病の多い日本人には、従来の方法では歯が立たなかったのです。ハーネマンからヒントを得て打ち立てた私の三次元処方は、病理の深い日本人も治癒へと導くことができるようになり、自分で言うのはおこがましいかもしれませんが、優れたメソッドであると自信をもって言えます。 そして本書は、診ケ ースブック療日誌に基づいたハーネマン像を私たちに提示してくれます。ハーネマンの実像を描くその力強い筆致によって、私たちは、「そもそも私たちにとってハーネマンとはいかなる存在なのか」という問いを突き付けられていると言ってもよいでしょう。ところが私たちは、今までこの問いを等閑に付してきたと思われます。 その弊害が、ハーネマンの神格化でした。『オルガノン』は聖書のように扱われ、歴史的な文脈から切り離されて理解されるようになります。大雑把な言い方をすれば、『オルガノン』は、ケント(J. T. Kent)、クローズ(S. Close)、ロバーツ(H. A. Robert)など、クラシカルホメオパシーの大家たちの著作をもとに理解されてきました。彼らは、『オルガノン』解釈の規範だったわけです。 しかしたとえばケントは、体験・実践主義のハーネマンを根気強く理解する代わりに神秘思想家であるスウェーデンホルグの影響を大きく受け、ホメオパシーを観念的に解釈し、その哲学に基づいてハーネマンの著作の解釈を試みたために、ハーネマンの教えを大きく歪めてしまうことになったのは疑いようのない事実です。それはハーネマンが目指していた実践主義的ホメオパシーと対極に位置する教条主義的ホメオパシーを生み出す土壌となってしまいました。 そうした流れの中で、ハーネマンへの回帰という現象が何度か見られました。その着眼点は素晴らしいもの