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ドラコ先生inロンドン
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■第1回 トラコ先生、ドラマの制作現場で大活躍!

○今回から数回に分けて、由井寅子(トラコ)先生に「ホメオパシーとの出会い」についてお聞きします。トラコ先生は本当にざっくばらんな性格で、はっきり本音を言う方です。それだけに、面白い話がいくつも出てくるはずです。また、出会いの舞台となった英国の事情も、ずばり本音で語っていただきます。なおインタビューは、ホメオパシー出版編集部で担当しました。

◇トラコ先生の子ども時代はどんなでした?

編集部
トラコ先生は、もちろん由井寅子さんです。でも、多くの方が親しみを込めて「トラコ先生」と
呼んでいます。私たちも、ここでは「トラコ先生」と呼ばせていただきます。それではトラコ先生、よろしくお願いします。

トラコ先生
わかりました。どうぞ、何でも聞いてください。

編集部
このホームページを見てくださる方は、トラコ先生のことを知っている方、ぜんぜん知らない方、さまざまだと思います。

トラコ先生
そうですよね。たくさんの方に見てもらいたいですね。

編集部
ええ、がんばりましょう。それで、トラコ先生を知っている方も、先生の書かれた本を読んだことがある方や、直接か間接に講義を聴いた方、いろいろな雑誌の記事で知ったという方も・・・。

トラコ先生 
そうですね、かなり雑誌の取材も受けてますからね。でも、ここでは、何も知らない人にわかってもらうことを念頭に置いて行きたいですね。

編集部 
そうしましょう。いろいろな取材で知名度が急上昇ですが、しかしここでは、雑誌の記事では触れていないようなところまでお願いします。そこで、さっそくですが、トラコ先生が英国でホメオパシーに出会うまでの経緯をお聞きしたいと思います。

トラコ先生 
そうですね、自己紹介から始めましょうか。私はもともと愛媛県の出身なんです。子どもの頃、両親は本当に厳しくて、食事のときなどもたいへんでしたね。とにかく、緊張してご飯をこぼしてしまったり、それで新聞紙を敷いてその上に座って食べたりしたんです。  

編集部
ええ、昔はやたらこわい親がいました。

トラコ先生 
そう、こわかったですよ。

◇最初のお仕事は映画!?

編集部 
それで、二十歳で仕事に就かれたとお聞きしてますが?

トラコ 
最初は映画界で、ドラマの撮影の仕事です。まあ一種の演出の仕事なんですが、スクリプターということをやりました。実際、1年半ですが、本当に一生懸命やりましたよ。だけど、日本の映画界はもうだめなんじゃないか、そう言ってアドバイスしてくれる人もいて、結局はテレビの仕事に移ったんですよ。当時、テレビの方では、この仕事をする人間を求めてましたから。 

 (注)スクリプター 映画の撮影現場で、全体の一貫性を保つため、各場面の様子や内容を正確に記
   録する係。(三省堂「大辞林 第二版」より)

編集部 
それで、たしかテレビの仕事を29歳までおやりになった。おそらく、かなりハードだったのではないですか?

トラコ先生 
そりゃあね、男性の倍くらい働いたつもりですよ! 何と言っても、ほとんど周りはオトコなんです。自分が女だからといって、負けたくなかったからね。風邪をひいたとか、お腹が痛いとか、言ってられませんよ!

編集部 
当時、女性は少ないんですか? テレビの方でも?

トラコ先生 
少ないですよ。私以外にはメイクさんと、衣装部なかにいるくらいでしょう。だからもう、男並み以上に働いたつもりですけど、なかなか出世しないんだな、これが。

編集部 
待遇はどういう扱いですか?

トラコ先生 
出向ですね、だから局の職員ではなくて、契約社員のような扱い。

編集部 
そうですか。それに当時、雇用均等法がない時代ですね、困ったことがあったのでは?

トラコ先生 
とにかく条件が悪かったね。だから、待遇を改善してもらうための活動をやったんですよ。具体的に言うと、私たちは月に4本作るのに、監督やディレクターは月2本でよかったんです。月に4本というのは、もう限界ですね。一息入れることもできない、働きづめの状態。

編集部 
それで、待遇改善はうまく行きましたか?

トラコ先生 
ええ、やりました。だけど、それで何となく居づらくなって…。

編集部 
せっかく改善されて、ご自分がそれを成し遂げてですか?

トラコ先生 
同じ女性から冷ややかな眼で見られているような、そんな感じがありましたね。あんたは何よ、もっとうまくやればいいのに、そんな冷たい視線を感じました。女としてうまく立ちまわるコツも知らないと、周りの女性たちから、そんなふうに思われていたんじゃないですか。

編集部 
似たような話はよく聞きます。男に気に入られるように、適当にうまく生きればいいじゃないか、そんなところですか。結局、人生観かもしれませんが、そういう女性は今でもいますね。

トラコ先生 
まあ、そういうことだけど…。それに、私もやっぱり先が見えて来たっていうのか、もう、どれほどがんばってもディレクターにはなれないと、その時思いましたよね。いろんな意味でね、体力でも仕事をこなす力でも、私は自分に自信があったんだけど、実力だけではどうにもならない壁を実感したっていうか…。それでまあ、英国に彼がいたんですね。英国で人生の再出発を、そんなこと考えるようになったんですね。

編集部 
そうですか。じゃあ、仕事はお辞めになって、英国に行かれたんですか?

トラコ先生 
辞めました。その時、たしか29歳になってました。

(次回はいよいよ英国を舞台に、トラコ先生が「ホメオパシー」に出会います)


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