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病気と自然治癒力
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◇ 老化は病気ではない! 生命力が弱ることが病気です!

人は皆、生まれた瞬間から「死に向かっている」と言いますが、だからといって、死ぬために生まれ、死ぬために生きるわけではありません。
多くの人は「生きてさえいれば、何かいいことがあるかもしれない」と考えて、毎日を生きています。米国映画『風と共に去りぬ』のなかで、主人公・スカーレットが口にする「明日に希望を託して・・・」というセリフは、そういった人生観が世界的にも一般的であることを示しているようです。
しかし、希望をもち続けることは、実はとても難しいことなのです。どんな時でも希望を失わないというのは、もうほとんど《神業》なのです。そして、そういう人は「強い人」とも呼ばれます。
そこで今回は、生きる力の「強い人」について、いわゆる「生命力の強い人」について考えます。


●生きることは『日々是決戦』

人間は、いずれ自分が「死」を迎えることを知りながら生きている唯一の動物だと考えられています。他の生き物達は、少なくとも目前に死が迫ってくるまで、それを知りません。
考えてみると、これはなかなか凄いことです。たとえば、神様が目の前に現れて「お前は10年後に死ぬのだ!」と言われたら、どうでしょう?
残された10年をどう生きるかを冷静に考えて、そのとおり実行できるでしょうか?
ひょっとしたら、有り金を全部もって遊びに行くとか、何かの犯罪に手を染めて逃げ回るとか、そういう人も出てくるでしょう。いわゆる「逃避」タイプです。
なかには反対に、出家して自分を見つめ直すとか、山にこもって生きることの意味を問い直すという人もあるかもしれません。これは、正面から「向き合う」タイプと呼べるでしょう。

とにかく私達は、いつ死ぬかわからないからこそ、明日に希望をもてるわけです。どれほど徹底した無神論者でも、神や仏に代わって自分の運命を予見することはできません。
一例を挙げると・・・【本能寺の変】

あの本能寺で、明智光秀の軍勢に包囲された織田信長は、どんな心境に陥っていたでしょうか? 自分の不運を感じたのでしょうか、それとも、ほとんど直属の手勢をもたずに京に上った(うっかり油断した)ことを悔やんだのでしょうか?
まあどう考えても、戦国の世にありながら護衛の軍勢が少なすぎたことは、こころに隙があったとしか考えられませんが、それはそれとして、彼もやはり運命を予期できないただの人間だったわけです。
(もっとも、信長は派手に死ぬつもりで、わざと軍勢を連れていなかったという無理な推測をする方もいますが・・・)

信長は、日本史上でも稀なほど徹底した無神論者として、そして革命児として生き、天下統一の悲願を果たせずに49歳で自刃しました。
この49歳で死を迎えるというのは「革命児」の宿命なのか、あのチェ・ゲバラ(エルネスト・ゲバラ)も同年齢で死んでいます⇒映画『モーターサイクルダイアリー』で、また人気復活しましたが・・・。
まあ普通の人間からすると、彼らほど「充実した人生」を送っていれば、49歳で死んでも文句ないだろうと思ってしまいます。多くの男性は『天下布武』のノボリを立てることもなく、疲れ果てて「自刃」したり、ボケてしまったりするのですから。
 注:本文に関係ないですが、織田信長のご子孫が健在で、スケート選手としてご活躍されています。信長公の七男の家系だそうですが、明るい方のようです⇒トリノ五輪をめざす織田信成さん。

このように、自分では予測できない自分の運命。まさに別の言い方をすると、誰も彼もが結果的には「神様や仏様に運命をゆだねて」いるわけです。
そんな『明日をも知れぬわが身』であれば、わざわざ、中期・長期の「人生目標」を立てるのもバカバカしいと言う人も、当然出てきます。
むしろ、先のことはあまり気にせずに一日一日をしっかり生きることこそが、最終的に人生の充実につながると考えるわけです。おそらく、戦国時代の人達はそういう考え方をしていたのではないでしょうか?
 注:新約聖書にも「明日のことは明日思い悩め」というイエスの教えがあります。あまり先々の予定を立てても、スケジュールに追い立てられるだけの人生になりかねませんからね。

ですから、結論として言えることは、日々の生活に全力投球することが大事! 時間を無駄にしてはいけません。
人生には、無駄にする時間はどこにもないのです。戦国武将のように『日々是決戦』という気合が(予備校生もそうですが)必要です。
そして同時に、自分の健康には自分で責任をもちましょう。健康に気を配り、しっかりと生きる土台を作りましょう。


●「生命力」とは何か−バイタルフォース−

ここで先ほどのテーマに戻ります。前述したように、本当に「強い人」とは、希望をもち続けることのできる人です。しかし、それだけでしょうか?
日常会話を思い出しながら、具体的に考えてみましょう。私たちは「あの人には生命力がある」とか「あの人は強い」ということを頻繁に言います。格闘技の話題なら別ですが、一般的にそう言う場合には、肉体的な強さと精神的な強さを兼ね備えた人のことを指しているようです。
たとえば、普通の人ならあきらめてしまうような重大な事故(負傷)や重病から生還した人は、もう「文字通り」生命力があるのです。
また、仕事の上でもプライベートでも、徹底的に追い込まれるとがんばる人がいます。もう精神的にも肉体的にも「崖っぷち」状態なのに、どっしりと踏み止まることができる人、頼もしい人、タフガイと呼べる男、あるいは肝っ玉母さん(姉さん?)は、やはり「強い人」です。
多くの場合、精神的に追い込まれるということは、それだけ肉体にもストレスが加わりますから、単に「精神力だけでがんばりました!」というのは嘘っぽいのです。どうしても、精神と肉体は切り離すことはできないでしょう。

さらに、大勢が反対しても「たった一人」で、臆することなく突き進む人、・・・こういう人達は「強い」と言われます。よく「多勢に無勢」という言いますが、結果としてうまくいくなら「一騎当千」とも形容できます。まったく不利な情勢にも動じるところがない・・・こういうケースでは「肝がすわっている」と言われるでしょう。
こういうことができるのは、ご当人にはそれなりの自信があってのことです(単に孤高を良しとする場合もあるでしょうが)。すると、その自信の源は何でしょう?

自分自身を信じることができる人は、自己の知力・体力・精神力などの総合力(トータルパワー⇔生命力)を信じられるということです。そして、自己の生命力を信じる人は「希望をもち続けられる人」でもあるのです。
したがって、生命力とは《トータルに自分を信じられる力》と表現してもいいわけです。

【バイタルフォース】
ホメオパシー医学においては、生命エネルギーのことを「バイタルフォース」と呼びます。当然、生命エネルギーの強さこそが「生命力の強さ」と考えられます。
そしてホメオパシーでは、この生命エネルギーの「流れ」を重視し、病気とは「バイタルフォースの流れが停滞している」状態であると認識します。また症状とは、バイタルフォースの流れが滞りバランスが崩れたことが原因となると理解します。


●「自信をもつ」ことと「勘違い」することの区別

さて、やや精神論的な書き方になってしまいました。もっと、日常生活に引き付けましょう。
私たちは日々を生きるに当たって、若干の処世術なり人生観なりを自然に身に付けます。たとえば、今日できることは今日するタイプ。逆に、今日できることでも明日でいいことは明日に延ばすタイプ。
また別に、次のような区分けもありえます。

Aタイプ:生きていれば何かいいこともあると考える(標準型)
Bタイプ:目的を達するまでは絶対に死ねないと考える(攻撃型)
Cタイプ:とりあえずまだ死にたくないと考える(守り型)

大雑把に、以上のような分け方も(無理やり)できるわけです。そこで、こういう類型区分と、先ほどの生命力の強さとの関係では、いったいどうなるのでしょうか?
どのタイプの人が生命力が強いのでしょうか・・・。
どこかでアンケート調査をすれば、おそらくこんな結果が出るのではないでしょうか?

 ⇒「何となくCタイプではないと感じるけれど、AかBかはわからない」

たしかに、AタイプもBタイプも、生きることに意義を見出しています。何かいいことがあるかも、目的を遂げることができるかも、・・・すなわち、前向きさが基本にあります。
人生において「強い人」とは、希望をもち続けられる人ですから、まず「前向きさ」をもつことが絶対に必要でしょう。そうなると、Cタイプはやはり弱いと言わざるをえません。
AとBとを比較すると、Bタイプが強そうな感じもしますが、そう断言することはできないかもしれません。なぜなら、このタイプの場合は、目的がすべてを支配しているからです。しかし短期決戦なら、このタイプが強いかもしれません。
結論は、あまりにも常識的ですが、Aタイプ=「スカーレット」の《明日に希望を託して・・・タイプ》ではないでしょうか?

  明日に希望を託せる人⇔生命力のある人⇔自分自信を信じられる人

こういう前向きな精神は、多くの場合、自分に対する信頼感と同時に、広く人間に対する信頼感のようなものが基礎になっているようです。ですから厭世派タイプではなく、すべてを愛することができるタイプでしょう。
しかし勘違いしてはいけないのは、やたらと愛想をふりまいて、自分に自信をもってみても始まらないということです。
あなたが本当に「自信をもっている」か「みんなを愛しているか」は、すぐ人に見破られてしまうのです。特に、自分を信じることと「やたらに自信をもつ」ことは、まったく別です。
自分を信じるというのは、自分の限界をある程度知った上で初めて可能なことであって、ただ「自信をもつ」のとはまったく違うのです。


●自分の弱さを知ることは、大きな強みになる

ただ「自分の限界を知る」というと、かなり漠然とした話になりがちです。そこで、具体的に例を挙げます。
100mを15秒で走れる選手がいます。彼か彼女が大きな大会に出ることになります。そこで、他の出場選手のベストを調べると、16秒、13秒、18秒、20秒でした。
この場合、15秒の記録をもつ選手は大きな自信をもつべきでしょうか? それとも「1位になる可能性が低い」ということで、ほどほどに自信をもつべきでしょうか?

 《結論》⇒2位になれるという自信をもつべきです!

ご存じのように、ここ数年、わが国の年間自殺者は3万人を超え、国際的にも自殺率の高い国として注目されています。
他の高自殺率国は、経済変動の激しい東欧やロシアなどの「体制移行国」であって、かつて「西側先進国」と呼ばれた国としては日本はダントツの高自殺率なのです。
外国の専門家には、日本人が「恥を忍んで生きるより、死を選ぶから」と、日本人がみんな武士道を実践しているかのような勘違いをもとにした「分析」もあるようです(武家の子孫はそんなに多くないです)。
実際のところはどうでしょう? やはり、日本人の生命力が弱くなっていると考えるのが順当でしょう。
同時に、自分の力がどの程度なのかわからない人が多いのかもしれません。・・・単に高度成長に乗っかって出世した人が、バブル崩壊で自力の無さに気がつく。たまたま始めた商売が当たって有頂天になった人が、事業資金がたまって新事業に乗り出して失敗、それで呆然自失。
こういった光景は、世界のどこでも、いくらでもあるでしょう。もし新規事業を始めるに当たって、自分のなかで「かなり失敗の可能性もある」と腹をくくっていたとしたら、その事業家は自殺などしないでしょう。
絶対うまくいく、俺が失敗するわけない・・・こういうとんでもない自信家が、ある日ガックリして、プッツン切れてしまうのです。


●ネット心中・リストカットの意味するものは?

ネット上の「自殺サイト」で知り合った者同士が集団で死ぬ「ネット心中」も頻繁です。これは、独りでは死ねないという現象です。
また、昔から一般的だった「心中」というのはすたれ、知らない者同士が車のなかに練炭を持ち込んで、二酸化炭素中毒になって死ぬ(ネット心中の大部分がこの方法)のが好まれているようです。
考えてみると、独りで生きることも、独りで死ぬこともできない、半人前の日本人が増えてしまったのでしょう。

それに、若い女性の「リストカット」などの自傷行為も目に余るほどのものです。精神科の専門家によると、若い女性が自分の母親からの注意を引きたがるケースが多いとの指摘もあります。
母と娘の関係に何か異変が起きているのか、ほかの人もやっているから・・・という単なる流行なのか。娘が母親との関係をうまく確立できないとしたら、娘だけの責任ではなく、母親にも責任があるのかもしれません。
おたがいに「嫌な面」や「汚い面」から目をそらして、ある意味で『親子ごっご』を演じていることに空しくなり、生きていることを確認したくなったのか?

昔から母と娘には、どろどろした会話や日常的なけんかはつきものでした。それによって、父親と息子の関係には成り立たないような「親密さ」が形成されていたと思えます。
今や、そういった「女同士の会話」や「けんか」もできないような母と娘の関係なのでしょうか?
ここでも何か、内向きのひ弱さ、生命力の弱さを感じてしまいます。


●「前向きな精神状態を維持できる人が天才だ」と、あの監督も!

かつて野球の名監督である野村克也氏は、次のような発言をされていました。

 「天才というのは、常に前向きに努力する精神をもてる人のことだ」

この言葉は非常に示唆的です。野球人として一流の選手であり、また多くの選手を育てた人物が、才能よりも「前向きの精神」を挙げているからです。
多くの人は、世の中には図抜けた能力をもつ人達がいっぱいいて、凡人が努力しても、そういう人達にはかなわないのだと考えがちです。ここでキーになるのは、この『努力してもしょうがない』という発想です。
たしかに、人は誰でもこういった心理状態になることがしばしばあります。どんなに明るい人でも、自分の人生は楽しいことばかりだと確信して一生を送ることはできません。
どこかで、たとえば仕事で、健康面で、人間関係で・・・自分の『限界』と思えるものに突き当たります。すると、

 努力してもどうせ無理⇒自分の先はもう見えている⇒頑張るのは無意味だ

というマイナス感覚が強くなってきます。また人によっては、「自分はダメな人間だ」というマイナス感覚より、むしろ「のんびりやって行こう」というマイペース感覚(?)に流れる場合もあるかもしれません。ここでまた、少しややこしくなります。
それは、「マイペースで生きる」ことは「努力しないこと」ではないからです。どうしても「マイペース」=「頑張らないで、のんびり生きる」と誤解する人がいるからです。あるいは「スローな生き方」というようなフレーズも危険です。「スローに生きる」のは、ただ単に田舎に引っ込んで、親の資産を食いつぶしながら、趣味に生きることとは違うのです。

野球に話を戻せば、甲子園の優勝チームなどから、一流のプロ選手が思ったほどは生まれないという現実があります。
ドラフトでも「練習生」としてやっと拾ってもらった選手が、後年、チームの柱になったりします。こういう人達は、自分の力だけを信じて、絶望しないで、常に前向きに練習したはずです。
とにかく、どんな場面でも前向きに行動することです。・・・もっとも今時「のんびり生きる」ことが可能な人など、そんなに多くはないですが。


●自分を信じて、言いたいことを言って、免疫力アップ!

さて、元気に生きる上でいちばん困るのは、「自分はどうせ・・・」とか「努力しても結局は・・・」というマイナス感覚(または「負け犬根性」)です。
こういう意識が常態化すると、気分障害(抑うつ症、躁うつ病、大うつ病など)へ進むケースもあります。また、気分障害に進まないとしても、自然治癒力(免疫力)は必ず低下します。なぜなら、そういうマイナス意識は、立派な「ストレス」だからです。
しかしここで大切なことは、ストレスにも2種類あることで、良いストレスもあるということです。たとえば、次のように考えてみましょう。

《悪いストレス》

・過労(働き過ぎ、遊びすぎ)
・食べすぎや飲みすぎ
・睡眠不足
・憎しみや怒りの感情
・落ち込み(マイナス感覚)

《良いストレス》

・こんなことをやってやる(良い決意)
・○○までにこれを仕上げるぞ(良いプレッシャー)
・楽しくてたまらない(プラス感覚)
・○○も面白そうだ(知的好奇心)

 ※「頑張ろう!」「楽しもう!」というのは、良いストレスです。良いストレスがなければ、人間は早く老いていくようです。

末期がんなどの重病の床にあった人が生還したとき、皆が口をそろえて言うのは『もう駄目だと思ったことはない』というセリフです。
手術もできない、抗がん剤も副作用がきつくてあまり使えない、それでも他の手段(代替療法)を工夫して、大きながんを制圧することは可能な場合もあるのです。医師が「なぜ治ったのか?」と不思議がるような生還は、いくらでもあるのです。

多くの場合、そういう患者さんは、自分を医師や病院に預けたりはしません。自分の運命を他人に委ねたりしないのです。自分を信じ、明日を信じて努力する(治療法を調べる、良い病院や医師を探す)ことから、初めて快復への道も開けるわけです。
ですから、そういった生還者は、決して「駄目でも、まあいいや」という考え方の持ち主ではなく、むしろ「頑張れば、明日はきっと良くなるさ」という考え方に立っている人達でしょう。
逆に言うと、それほどまでに追い込まれた立場にあってなお「信じられる自分」がある人達ということです。

☆自然治癒力(免疫力)は、病院の検査で数値化できるものばかりではありません。

☆音楽を聴くこと、信仰をもつこと、森林浴をすること、人付き合いをすることなど・・・免疫力にプラスになると考えられる要素は、具体的にかなり検証されつつあります。

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